山本さんは身を乗り出し、ナカガワさんの胸ぐらを掴んだ。そして、四方に振り回しながら、叫んだ。
「報告していないことがあるだろう!」
「ちょっと何するんですか、やめて下さい!」
同じ営業でも山本さんは3D広告の営業で、ナカガワさんは2D広告の営業。広告媒体やスポンサーが違うので仕事の接点はないはずである。
「一体僕が何をしたんです?僕が山本さんに報告しなかったことが今までありますか?」
山本さんは無言でナカガワさんを振り回していた。明らかに正気ではなかった。
「ちょっと離してくださいよ。」
力強く振り回していた腕は、次第にゆっくりになって、しばらくして止まった。その隙に、ナカガワさんは山本さんの腕を払いのけ、こっちに戻ってきた。
「僕は10時から打ち合わせなんですよ!」
僕は戦場がこっちに移ってきたような気がした。案の定、山本さんが叫びながらこっちに向かってきた。
「おらー!」
生きた気がしなかった。山本さんはナカガワさんが座っているイスを力いっぱい蹴った。僕のすぐ後ろである。イスがスライドして、ナカガワさんごと移動していく。3回目の蹴りで、ナカガワさんがフロアーに転げ落ちた。山本さんは転げ落ちたナカガワさんの上にまたがり、また胸ぐらを掴み、上下に振り回していた。ナカガワさんはなされるがままにしていた。
突然、山本さんの動きが止まった。はーはー、という山本さんの呼吸音だけが聞こえる。我に返ったのだろうか。ただ一点を凝視していた。
沈黙があった。ほんの数秒だったろうが、随分長く感じた。
ナカガワさんは山本さんの腕を丁寧に払い、ゆっくりと起きあがり自分の席に戻った。そして、資料をカバンに入れて、オフィスをあとにした。
それから、山本さんと僕の二人きりの長い午前中が始まった。