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海外と日本のサッカー文化の違い

海外の監督が日本に来ると戸惑うのは日本人の自主性のなさだそうだ。海外での監督の悩みは選手に言うことを聞かせることである。選手は自分のスタイルを貫くことが多い。それで結果を出せば良いと考えるのだ。

10歳ぐらいの子供でも監督に反発することがある。それも、ただ反発するのではない。監督の意見をよく聞き、そして自分の意見を監督に伝えることで監督を納得させるのだ。日本人ではまず考えられない。

海外では、幼いころは個性を伸ばそうとする。だからテクニックは育つが、組織的な考えは日本人より劣る。一方、日本は幼いころから勝つことを目的として組織プレーで勝負してきた。だから、若い世代では日本は強い。

しかし、代表レベルの年齢になると個人プレーで勝負してきた海外の選手が組織的なプレーも学び始める。ここで技術の差が浮き彫りになる。勝ち負けにこだわりすぎた結果であることは明白である。

日本人はえてしてマイナス思考である。プラスを伸ばすことよりマイナスを消すことを心がける。そうして、監督に指示を求める。長所を伸ばすことより、自分の短所を指摘してもらいたいのだ。すべてを事細かに指示してもらわないと不安なのだ。このあたり加茂監督が受け入れられなかった原因の一つかもしれない。

しかし、試合の局面では、選手は自分で考え、判断しなければならない。だが、ロボットのように堅実に動くことしか出来ないプレーヤーにそのような能力は育たない。

前グランパス監督のベンゲル監督は言っていた。日本人にないのは自信だ。敵がいなければ、小倉はストイコビッチだ。だが、試合中には歴然だる差が生まれる。日本人は監督に指示を求めるが、自分の道を見つけるべきなのは選手自身だ。監督はそのきっかけを与えるに過ぎない。すべてを説明していては選手の自ら伸びる力は生まれない。

また、ジーコが言う。自信は練習の積み重ねで生まれる。だが、日本人ほど勤勉で練習好きなものはいない。だとしたら自信がないのは国民性なのか?

しかし、時代の移り変わりで日本人にも新人類が生まれてきた。中田・前園・石塚らの生意気で自信満々な若手である。カズも昔は生意気だった。彼らはもし結果を出さなければ、一般には受け入れられにくいかもしれない。しかし、頑固に自分の型にこだわってきた彼らには日本を変えるパワーがある。

W杯に出れるといってもまだまだ世界との距離は遠い。しかし、多少なり近づいていると感じる。僕は生意気な若手が出てくるたびに、ワクワクする。そして、彼らの動きに注目している。

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