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侍とは?──戦国ではなく江戸時代に生まれた忠義と礼節の武士道

「俺たちが伝えたい侍は、戦国じゃなくて江戸時代なんだ」

友人のチャンバラ軍団(刀屋壱)がそう言ったとき、正直ピンとこなかった。自分の中で「侍とは何か」が言語化できていなかった。

戦国時代では、強さこそがすべて。

相手を倒して、天下を目指す時代。

豊臣秀吉がいったん平和をもたらすけれど、彼の死後、また戦乱へ。

その後、関ヶ原の戦いで徳川家康が天下を取ると、本当の平和が始まった。

しかも、一時的なものではなく、平和が続く仕組みを作った。それがすごい。

戦国時代は理想論は通じない。殺るか殺られるか、死人に口なし。そんな時代に命を懸けて戦っていた武士が、町の秩序を守る「警察」のような存在へと変わっていく。

江戸の武士は「警察」であり「見本」だった

江戸時代の武士は、戦場には立たない。彼らの仕事は、町の秩序を守ること。現代で言えば警察官+公務員+道徳リーダーみたいな存在。新しい評価制度を作ってそう矯正した徳川幕府がすごい。

忠義を尽くし、まじめに生きると出世できる──そういう世界になった。

刀は戦うための道具ではなく、威厳と身分を象徴するもの。武士だけが持つことを許され、文字通り「命」となった。

何より特徴的なのが、幕府が武士に求めた“模範的なふるまい”。

徳川幕府は、朱子学という儒教思想を武士に徹底的に教え込んだ。「忠義・孝行・礼節」。これを身につけることで、武士は人々の見本となる。

中国から生まれた儒教。儒教を模範とした日本。日本と中国は違う。日本では忠義を尽くしたら報われた。政権交代が激しい中国では忠義を尽くしすぎると、新体制での立場が危ういのもあったでしょう。

鎖国した状態で150年続いた徳川幕府は日本のルーツを作っている。日本人が長期的に考えて、いま我慢しがちなのは、この時の名残でしょう。

江戸時代は“思想による統治”だった

徳川幕府は、武力ではなく“思想”によって武士をコントロールした。その中心にあったのが、朱子学(儒教の一派)だけど、僕は朱子学がよくわかってない。

君主に忠を尽くす

感情より理を優先する

身を修め、家を治め、国を治める

こうした思想を武士に植えつけることで平和が続いたのは本当に驚きです。

言い換えれば、江戸時代は、有能なトップが思想で社会をまとめていた「思想による支配モデル」だったとも言えますね。トップが有能なら独裁は機能する。

でも、時代が経つと、利権が生まれ、制度が形骸化し、衰退していく。

巨大組織が衰退していくのも同じ構造。利権ができれば、人は怠ける。

甲冑を着ないサムライショー

友人のサムライショーではサムライは甲冑を着ない。甲冑の方が外国人ウケはいい。でも、それじゃ伝えたい侍像じゃないのかも。

もう戦わない。でも刀を差して町を歩き、威厳を保ち、模範として生きる。滅多に起きない非常事態に備えて鍛錬する。それが江戸時代の侍であり、そこに“侍らしさ”が凝縮されている。

おわりに

忠義や礼節といった価値観、そして理想を貫こうとする生き様。カッコいい。たまたま殺陣に関わるようになって、「侍って何だろう?」と考える機会が増えた。そして、ようやく言葉にできるようになってきた。まだまだ勉強中です。