オーストラリアに行く時の飛行機で読んだ本の紹介。「大人も学生も夢中で読めるオーストラリア史」のメモです。博士と高校生の対話形式でオーストラリアの歴史を紐解いていく話
イギリスの「流刑地」として始まったオーストラリアの歴史
まず驚いたのは、オーストラリアが「流刑地」として始まったという事実。1901年に連邦が成立したばかりの新しい国だということも、恥ずかしながら知らなかった。
何万年も前からアボリジニが暮らしていた土地。そこに、18世紀後半にイギリスがやってきて植民地化した。アメリカ独立戦争で犯罪者の送り先を失ったイギリスが、その代わりとしてオーストラリアを流刑地にしたのが始まりなんですね。
そこから多くの囚人が送り込まれ、ヨーロッパ系の人々による開拓が進む。そして、先住民アボリジニは土地を奪われ、生活は激変。それでもアボリジニの文化は途絶えることなく今に至り、最近は人口も増えているという。流刑地から始まった国が、先進国となり、先住民の文化と共生しようとしているのがすごい。
アボリジニの歴史
特にアボリジニの歴史については、深く考えさせられた。学生の頃、アボリジニの伝統舞踊ショーを見に行った翌日に、彼らが私服でマックのハンバーガーを食べているのを見て勝手に幻滅したことがあった。でもそれは、僕が彼らの歴史を何も知らなかったから。
同化政策で親元から引き離された「盗まれた世代」。白人とアボリジニの間に生まれた子を、親から引き離して白人として育てたそうです。1960年代まで人間としての権利すら十分に認められていなくて、1960年代後半まで人口統計にすら含まれなかった。一方で、2000年のシドニー五輪が和解の象徴として演出された背景や、1992年にようやく土地所有権が認められた経緯など、現代に直結する課題もしっかり描かれている。
フィリピンのミンダナオに「モロ族」がいるけど、フィリピン政府とずっと揉めている。原住民が侵略者と共存する例ってほとんどないんじゃないかな。アボリジニの独自の宗教観であるドリームタイムについても興味津々。だから、オーストラリアでは、アボリジニの情報を探したけど、あんまり見つけられなかった。
首都キャンベラは、先住民の言葉で「集まる場所」を意味する
他にも、シドニーとメルボルンの対立を防ぐために中間地点に作られた計画都市キャンベラの名前が、先住民の言葉で「集まる場所」を意味するというのも興味深い。ゴールドラッシュで生まれた町が今の文化拠点になっていたり、ANZAC(アンザック)の戦いが「魂の誕生日」と呼ばれていたり、意外な発見の連続だった。
“白人で、英語を話し、イギリス文化に忠実であること”――それが“真のオーストラリア人”とされていた白豪主義から多文化主義へ舵を切った葛藤や、アジアからの難民受け入れに対する姿勢なども描かれていて、移民政策で世界中が悩んでいるけど、他文化共生のヒントはオーストラリアにありそう。日本に住む自分たちにとっても考えさせられるテーマが満載でした。
人類最初の環境破壊はオーストラリア
『サピエンス全史』では、オーストラリアへの人類到達は「史上最も重大な生態系的事件の一つ」として描かれている。それまで何千万年も隔離されていた大陸に、いきなり最強の捕食者である人間(ホモ・サピエンス)がやってきた。
人間が足を踏み入れたことで、かつてそこにいたディプロトドン(巨大なカバのような有袋類)や、体重200キロを超えるような巨大な鳥たちが、あっという間に絶滅してしまった。ライオンのような猛獣がいない楽園だったからこそ、外来種である人間という「劇薬」が持ち込まれた時のインパクトは計り知れなかった。
今のオーストラリアは「豊かな自然の国」というイメージが強い。だけど、実は人類が最初に環境破壊したエリア。生態系のバランスはすごく脆い。もし誰かがライオンを持ち込んだら、今のカンガルーの楽園は一瞬で崩壊する。実際、過去に人間が持ち込んだウサギやキツネが爆発的に増えて、もともとの生態系がボロボロになった歴史もある。
人類が自然を書き換えてしまった場所。今はその残された自然をどう守り、先住民の文化とどう共生していくかが課題。この本で語られるのは、ただの「オーストラリアの歴史」じゃない。地球規模の「環境破壊と再生の歴史」。そんな風に考えて読むと、また違った面白さが見えてくる。
オーストラリアは住みやすい国で、観光地としても人気というイメージだった。だけど、行ってみたら印象は少し変わった。新しい国に行くと、知らないに興味を持つキッカケを得られるので楽しい。
アメリカ独立(1776年)を起点としたオーストラリアの歴史
- 1776年 アメリカが独立を宣言。イギリスは、それまで北米に送っていた囚人の送り先を失う。
- 1783年 アメリカ独立戦争が終結。イギリスは新たな流刑地を求める。
- 1788年 イギリスの「第一船団(ファースト・フリート)」がシドニー湾に到着。ニューサウスウェールズ植民地が成立。オーストラリアがイギリスの流刑植民地として本格的に始まる。
- 1788年以降 イギリスから多数の囚人と自由移民が移住。ヨーロッパ人による開拓が拡大し、アボリジニの土地や生活が大きく変化する。
- 1800年代前半 イギリスによる植民地化がオーストラリア各地へ拡大。
- 1851年 ニューサウスウェールズとビクトリアでゴールドラッシュ。大量の移民が流入し、都市や経済が急速に発展。
- 1901年 6つの植民地が連邦を結成し、オーストラリア連邦が成立。現在のオーストラリアという国が誕生。
- 1915年 第一次世界大戦のガリポリの戦い。ANZACの経験が、オーストラリアの国家意識形成に大きな影響を与える。
- 1900年代前半〜中盤 「白豪主義」が進められ、白人・英語・イギリス文化を中心とする国家づくりが進む。
- 1930~60年代ごろ アボリジニに対する同化政策が進められ、親から引き離されて白人家庭などで育てられた子どもたちが「盗まれた世代」となる。
- 1962年 連邦選挙で、先住民が投票権を行使できるようになる。
- 1967年 国民投票で、アボリジニを国勢調査の対象に含め、連邦政府が先住民政策に関与できるようにすることが圧倒的多数で支持される。
- 1970年代以降 白豪主義から多文化主義へ政策転換が進む。
- 1992年 マボ判決。オーストラリアには「誰のものでもない土地(テラ・ヌリウス)」だったという従来の法的考え方が否定され、先住民の土地権(ネイティブ・タイトル)が認められる道が開かれる。
- 2000年 シドニー五輪。開会式などでアボリジニ文化が紹介され、先住民との和解を象徴する出来事となる。
- 現在 先住民文化を尊重しながら、多文化社会として発展。一方で、先住民との格差や土地・文化をめぐる問題は現在も続いている。





















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