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日本サッカーと「世界基準」セルジオ越後のレビュー

日本サッカーと「世界基準」セルジオ越後

謙虚さがないからセルジオはあんまり好きじゃないんですよね。(自慢っぽいのはまあブラジル育ちだからよしとしてます。)

あとは、問題点指摘ばかりで改善案がない。いつもそんなイメージがある。監督を変えろ、とかそんなんばっか。

当事者はいろんな制約の中で物事を進めている。少ない情報しかもっていない外野が言うことじゃないようなことを言う。ジーコは問題あったと誰もが思います。ジーコの問題であり、日本サッカー協会の問題なんですよね。

Jリーグは川淵チェアマンがいたから生まれたようなもので、必要悪だと思っていますし、彼は人としてはすばらしいと僕は思っています。(全然知らないので単なるイメージ)

結果が出ていない部分はありますが、そしたら彼が責任とって誰が彼の代わりをするのだ、とか、ジーコの代わりにどのタイミングで誰が指揮するのか、などなど。現実的な改善案を考える当事者は簡単ではありません。これは根の深い問題ですよね。投票制にしないとダメですよね。

とは言っても、いつでもあたたかく見守るだけではダメです。という気持ちでたまにセルジオの本を読んでみます。今回、なるほどと思ったのは、

ボールがひとり1個か、大勢で1個か。こうしたボールの所有率の違いは、実は日本とブラジルのレベルの差に大きく関係しています。

P75

日本は豊かなので、ボールは1人1個です。なのでリフティングはすごくうまい。しかし、リフティングと相手がいるゲームは全く違う。ブラジルでは自分のボールを持っていないのでゲームの中でしかボールを触れません。

だから必死になってボールを奪おうとします。日本で僕がサッカーしているときに、ゲームから消えてしまうことがありました。もちろん運用量が落ちているわけではないです。サッカーやっていた人はみんなこういう経験多少あるのかも。ボールを持ってないほうが確かに貪欲だと思います。しかし、子供からボールを取り上げるわけもいかずどうしようもないですよね。

結局コミュニケーションの問題に行き着きます。

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