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【長崎】出島|実は鎖国じゃなかった江戸時代の海外交流

長崎 出島

長崎にある出島を訪れた。現在は、江戸時代の出島を再現した観光地になっている。入場料は大人1,100円だけど、展示や映像資料も充実していて、じっくり見るとかなり楽しめる。

出島は、江戸幕府の命令によって人工的に造られた埋立地。海外との貿易を管理するために造られ、最初はポルトガル人との貿易窓口だった。その後、ポルトガル人が追放されると、オランダ人が出島で暮らし、貿易を行うようになった。

出島の街並み

江戸時代は「鎖国」と呼ばれるけど、外国との交流や貿易を完全に禁止していたわけではない。幕府が相手国や場所、貿易の方法などを厳しく制限していた。長崎ではオランダや中国との貿易が認められていて、対馬では朝鮮、薩摩では琉球、松前ではアイヌとの交易や交流が行われていた。

知れば知るほど全然鎖国じゃない。

南蛮貿易って言葉が有名だけど、実際は南蛮貿易の期間は短くて、その後のオランダとの「紅毛貿易(こうもう)」のほうが長い。約200年にわたって続いた。

中国との貿易では、中国人は出島ではなく唐人屋敷に住むことを定められていた。中国船は長崎港に入港し、貿易品は新地の蔵などに運ばれていた。つまり、出島は外国との交流すべてを行う場所ではなく、オランダとの貿易や交流を幕府が管理するための場所だった。

オランダ人はここで生糸や砂糖などを輸入し、日本からは銀や銅などを輸出していた。さらに、オランダ商館員を通じて西洋の医学や科学、文化なども日本に伝わった。

当時、出島への出入りは厳しく制限され、日本人も自由に入ることはできなかった。オランダ人も出島の外へ自由に出ることはできず、限られた空間の中で生活しながら、貿易や情報のやり取りをしていた。

現在の出島は、当時の建物や街並みを調査・復元している。建物の中には、西洋式と日本式が混在した造りになっているものもあり、当時の国際交流の様子が感じられて興味深い。

展示では、出島でどのような貿易が行われていたのか、当時の人々がどのように暮らしていたのかを知ることができる。映像資料もあり、僕は歴史を知らなかったけど、分かりやすかった。

ただ、出島は一度埋め立てられ、その姿を失った。現在の出島は、発掘調査や史料をもとに復元されたもの。最初からそのまま残しておけばよかったのにね。

見応えのある場所なので、長崎の歴史に興味あるならおすすめ。