弘前市にある「弘前忍者屋敷」、ここは想像以上に楽しかったです。1000円で大満足。建物の前で写真を撮っているとオーナーが出てきて、いつの間にか話がはじまりました。「忍者の末裔なんですか?」と聞いたら、「いいえ、公務員でした」。そんな会話から始まりました。
弘前忍者屋敷に行ってみた

この忍者屋敷はコロナの頃に公務員を退職した佐藤光麿さんが購入した古民家。「昔、ここは忍者屋敷だったんです」と語りがはじまりました。弘前や甲賀忍者のことにとても詳しくて、質問するとどんどん話が広がります。
「ヤバいですねえ。」「こんなこと言ったらボクもヤバいですよ。」そんなセリフがジワジワきます。
弘前藩は甲賀忍者を雇っていた
江戸時代、徳川幕府は伊賀忍者を味方につけていましたが、それに対抗する形で甲賀忍者も存在していました。弘前藩(津軽藩)では、甲賀忍者を雇い、弘前城の警備、諜報活動などにあたらせていたそうです。津軽藩は江戸幕府に従いつつも、自藩の安全や情報収集のために忍者を活用していたわけです。
弘前城の話もたくさん聞けたので、弘前城に行く前にここに来ればよかったです。部屋のからくりや仕掛けは期待値が高すぎたので拍子抜けな部分もあったけど(笑)、むしろそれがリアル。好みは分かれるかもしれないけど、僕はすごく楽しくて、気がつけば2時間くらい滞在していました。歴史好きの方には特におすすめ。手裏剣を投げたり忍者体験もできる。

忍者の衣装が赤色は、暗闇では赤い色は見えにくくなるからというのは納得した。だけど、甲賀忍者はオレンジ色だったのはなぜだろう?

幕末、弘前城(津軽藩)は新政府側(官軍)だったこと。トリカブト、孝明天皇、明智光秀みたいな単語も飛び交います。
弘前に行く機会があったら歴史を勉強してからまた行きたい(笑)。横には忍者ゲストハウスもあります。駐車場もあります。
帰ってから渡されたパンフレットを見てみたら、これまた面白い。聞いた話がより詳しく書かれていた。この忍者屋敷は江戸時代後期に建てられて、1869年の古地図に残っているんです。

忍者が住んでいたわけじゃなく、弘前藩忍者集団「早道之者(はやみちのもの)」と呼ばれる忍者集団が情報交換していた場所。気になるから調べてみると興味深い。
早道之者とは?
早道之者とは、津軽藩(現在の青森県)の第4代藩主・津軽信政(のぶまさ)が江戸で甲賀流の忍者・中川小隼人(なかがわ こはやと)を召し抱え、1672年頃に組織した忍者集団。創設の背景には、蝦夷地(現在の北海道)との接触や、南部藩との緊張関係があったとされる。
彼らは、松前藩やアイヌの動向調査、津軽藩領内の治安維持、藩境警備、他藩における諜報活動など、さまざまな秘密任務に従事した。特に津軽海峡を越えて蝦夷地との連絡や監視を行う任務が重要視され、「早道之者」という名称は、迅速な情報伝達を担う役目を象徴していると解釈されている。
この集団は、江戸時代を通じて活動を続け、函館戦争(1868〜1869年)後の1870年頃まで存在していたとされる。現存する『弘前藩庁日記』や『分限帳』などの記録、また2016年に弘前市立図書館で見つかった忍術書などが、彼らの存在と活動を裏付けている。
忍者のことはもう漫画の世界になってきている。だけど、たしかに存在していたんですね。忍者に興味を持つキッカケになりました。





















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