長野市にある川中島という場所に行ってきました。武田信玄と上杉謙信が戦った「川中島の戦い」の舞台になった場所です。この戦い、詩吟や歌舞伎なんかでもよく題材にされていて、江戸時代には庶民のあいだで有名だったみたいです。戦国時代の名シーンが、あとになって語り継がれ、芸能として花開いたということは、すごい戦いだったんでしょうね。
5月31日から6月1日の1泊2日旅行メモ
川中島の戦い
武田信玄のことも、上杉謙信のことも、川中島の戦いのことも詳しくない。だけど、友達が昔、「川中島の戦い」を題材にした詩吟ムービーを作っていて、長野に行ったら行ってみようと思っていたのです。
詩吟 川中島
詩吟は、「鞭声(べんせい)粛々(しゅくしゅく)夜 川を渡る。」というフレーズから始まります。 (上杉謙信の軍は)鞭の音もたてないように静かに、夜に乗じて川を渡った。という意味
当時はみんなが天下統一のために戦った戦国時代。織田信長の時代の少し前です。交通の要所で、土地も豊かだった信濃(今の長野県)を巡って、戦国時代を代表する武田信玄と上杉謙信が戦った。戦いは12年にわたり合計5回戦ったそうです。
武田信玄とは
武田信玄は甲斐(山梨県)の戦国大名。「風林火山」の軍旗が有名。『孫子』から取った言葉で、「風のように素早く、林のように静かに、火のように激しく、山のように動かず」という意味。この教えをもとに、冷静で大胆な戦術を駆使し、多くの戦で勝利を収めた。

上杉謙信とは
一方の上杉謙信は越後(新潟県)の大名で、「越後の龍」と呼ばれた。義を重んじ、仏教や民を大切にした姿勢から「義の武将」として知られます。戦の神・毘沙門天を信仰し、自らをその化身と称して戦場に立ったとも言われます。

きつつき戦法とは
5回の戦いの中で、有名なのが1561年の「第四次川中島の戦い」。このとき信玄が使った戦術が「きつつき戦法」。軍師の山本勘助のアイデアでした。
一部の兵を囮として先に動かして敵を誘い出してその間に本隊が敵の背後から襲いかかる挟み撃ちの戦法です。「木をつつくキツツキのように前後から攻撃する」という意味で名づけられました。
ところがこの作戦は、上杉謙信に見破られ、逆に上杉軍が武田の本隊を急襲。戦場は大混乱となります。このとき、謙信が馬で単騎突入し、信玄が軍配でそれを受け止めたという有名なエピソードも生まれました。
この戦いで信玄の弟・武田信繁や、山本勘助が戦死したとされます。この作戦の立案者とされている勘助は、敗戦を悔いて自害したという伝承もあります(実在については諸説あり)。
川中島古戦場跡 八幡社
川中島古戦場跡は長野駅からバスで30分ぐらい。バスは本数が少ないので事前に調べておきましょ。
バスを降りると、目の前には川中島古戦場公園がある。武田信玄が上杉謙信に奇襲を仕掛けようと本陣を置いた場所。信玄軍は夜明け前に攻撃を仕掛けるため、ご飯を炊いていたら、その煙を見た上杉軍が逆に奇襲を仕掛け、大規模な戦いへと発展したと伝えられています。

そんな場所に八幡社という神社があります。御祭神は、誉田別尊(ホンダワケノミコト)と建御名方命(タケミナカタノカミ)。ホンダワケノミコトは応神天皇のことですが、正直なところ詳しくない。
一方のタケミナカタノカミはちょっと知ってる。出雲の神・大国主の子で、国譲りの際に天照の使者(建御雷神)に敗れた武神。いわば、出雲側の最後の抵抗者とも言える存在。
タケミナカタノカミが祀られている神社を見たのは初めて。調べてみると、この地域には彼を主祭神とする諏訪大社の本社があった。神話では敗れて出雲を去ったタケミナカタノカミが、この地・信濃にたどり着き、諏訪の神として根付いたのかもしれない。
川中島古戦場公園の首塚
戦いは決着がつかず、双方に大きな被害を出して引き分けとなりました。戦場には死体の山ができ、それを葬ったとされる「首塚」が2つあります。そうとう悲惨な戦いだった気がします。


2箇所の立て札に書かれた文字は同じ。武田側の高坂弾正が作ったんですが、上杉軍の兵士も一緒に手厚く葬ったようです。それに感動した上杉謙信は、武田側が塩不足で困った時に、塩を送ったそうです。そこから「敵に塩を送る」ということが生まれたそうな。
上杉謙信は義理堅いヤツだったようです。女性だったという説もあるようです。
一騎討ち像
上杉謙信が武田信玄の本陣に斬り込んで斬りかかり、信玄は軍配団扇(ぐんばいうちわ)で受け止めたという伝承が有名だけど、これって逸話なんですね。

境内をいろんな石碑があるのでブラブラしても楽しい。
長野市立博物館
すぐ近くに博物館もある。もちろん行きました。博物館は楽しい。「川中島の戦い」の常設の展示室もありました。そんなに広くないけどじっくり見るとそれなりに時間がかかる。





長野の歴史的な展示も結構あります。ただ、この博物館は16時30分までなんです。川中島古戦場跡をブラブラするのも含めると2時間は欲しかった。到着が遅くなって1時間なかったので駆け足で見ました。
江戸時代、平和な暮らしが続く中で、人々は過去の「戦国時代」にロマンを感じるようになったんですかね。信玄と謙信という個性豊かな武将が繰り広げた戦いは、舞台映えしてする題材として庶民の心をとらえ、詩吟や歌舞伎、人形浄瑠璃でも取り上げられるようになった気がします。
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