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【京都】八木家住宅(八木邸)|新選組発祥の地で、芹沢鴨暗殺の現場

京都に行ったとき、新選組発祥の地とされる八木家住宅(八木邸)へ行った。

八木家は、壬生村にいた「郷士」の家

八木家は、江戸時代に壬生村(みぶ)にいた「郷士」の家。壬生は京都市中京区、二条城の近くで、当時は周りは畑だったようです。

郷士は、農民身分だけど武士のように帯刀などが許されていた人たち。八木家は壬生村でも有力な家で、村の運営にも関わっていたそうです。その八木家が残っていて観光地になっているんです。

新選組についてガイドが30分で説明

京都鶴屋 鶴寿庵という和菓子屋で受付をして時間まで待ちます。

時間になると、ガイドが、新選組ができたところから、その後の活動までを30分で説明してくれます。新選組の剣術についても、近藤勇らの天然理心流の話などが出てきます。太い木刀を使った稽古をしていたそうです。

幕末、14代将軍・徳川家茂が京都へ上洛することになった。当時の天皇はものすごく外国人が嫌いだった。そして、朝廷では外国勢力を追い払う「攘夷」を求める声が強く、幕府にも攘夷を求めていました。だけど、幕府は南蛮貿易をしていたから、一向に進展しない。その状況に苛立って、天皇は徳川家茂を京都に呼び出した。

当時の京都は治安も悪くなっていたので、将軍の警護などを目的に浪士が集められました。それが「浪士組」です。その浪士組の中に、のちに新選組につながっていく近藤勇チームと、芹沢鴨チームがいました。彼らは江戸から京都へやってきて、その宿所の一つとなったのが八木邸です。

ところが、浪士組は幕府の方針によって江戸へ戻ることになる。近藤勇、土方歳三、沖田総司、芹沢鴨ら13人は京都に残ることを決め、京都守護職の松平容保のもとで京都の警護にあたるようになる。そして八木邸に「新選組宿」の看板を掲げ、ここが新選組の最初の屯所となりました。

最初から「新選組」として京都に来たわけではなく、将軍警護のために来た浪士たちが、江戸へ戻る流れに逆らって京都に残り、芹沢鴨チームと一緒に新選組へとつながっていったんです。

芹沢鴨が暗殺された場所

この八木邸で特に印象的なのが、奥の部屋。ここは芹沢鴨が暗殺された場所です。芹沢鴨と平山五郎らが殺され、現在も鴨居には当時のものとされる刀傷が残っています。奥の建物は撮影禁止だけど、実際に事件が起きた場所を見ることができます。そんな話をガイドがしてくれます。

30分のガイドとお茶、和菓子がセットで1,100円。30分刻みでガイドが行われていますが、僕が行ったときも毎回20人くらい集まっていました。

ガイドはかなりこなれていて、30分ぴったりで終了。新選組の歴史を短時間で一通り知ることができます。それ以上に、ガイドの話し方から新選組への地元愛を感じました。近藤勇が座っていた石は撮影ポイントです。

最後にいただいたお茶と和菓子もおいしかったです。二条城からも近くて、京都御所からも比較的行きやすい。新選組に興味があるなら、かなりおすすめです。