佐賀城跡の佐賀城本丸歴史館に行ってきました。天守閣はないけど、日本100名城に入っていて、佐賀のイチオシ観光スポットのようです。城があったら迷わず行きます!
佐賀城は1874年の佐賀の乱で、反乱を鎮圧するために攻めてきた明治政府軍との戦闘で本丸の建物が焼失。その後、城としての役割を終え、明治政府の廃城政策によって取り壊され、石垣や堀が残る城跡となった。でも、本丸御殿は2004年に木造で復元され、佐賀城本丸歴史館として公開されている。
最近は鉄骨で作り直すことが多いけど、木造建築にこだわって再建していて、展示も充実しています。なのに、入館無料でびっくり!木造建築は維持も大変なのに大丈夫?
しかもガイドツアーまで無料!佐賀藩や幕末の歴史をわかりやすく説明してもらえました。展示をじっくり見て、ガイドツアーにも参加したら2時間半くらい滞在していました。それくらい見どころが多いです。こちらの要望にあわせて案内してくれるので、「1時間くらいで」とお願いすれば、その時間にあわせてガイドしてくれると思います。

無料でここまで楽しませてもらったので、感謝の気持ちとして1000円募金しました。少なくてごめんなさい。佐賀の歴史に興味がある人にはぜひ訪れてほしい博物館です。鍋島直正や江藤新平についての展示も多く、佐賀の歴史を学ぶにはぴったりの場所でした。


特に印象に残ったのは、鍋島直正と江藤新平。
鍋島直正
佐賀では至るところで名前を目にする鍋島直正さん。江戸時代の終わりごろの佐賀藩主で、倹約、教育、貿易で藩を立て直した佐賀のヒーロー。参勤交代に加えて長崎警備も担当していて、出費も多かった。借金取りに追われるほど財政は厳しかったらしく、危機感を持って倹約と教育に力を入れた。子どもの勉強に力を入れない家は、家禄が減らされることもあったそうです。
一方で、砲台や反射炉を造って軍備も強化。ペリー来航後には幕府へ大砲を納めるなど、日本の防衛にも大きく貢献した。貿易では有田焼を西洋へ輸出。教育にも力を入れた結果、大隈重信など、明治政府で活躍する人材も多く輩出した。
薩長土肥、どこへ行ってもこういう話がある。西洋に近くて、海外の脅威を肌で感じていたから危機感も強かったんでしょう。やっぱり人を動かすのは危機感なんだな。
当時は鎖国。出島でのオランダ貿易だけが認められていた時代。オランダ船を装ったイギリス船をうっかり通してしまい、責任者が切腹した事件もあった。フェートン号事件というそうです。そんな時代だからこそ、防衛や軍備に力を入れる必要があったんだろう。

鍋島直正は切腹には否定的だったそうで、脱藩した江藤新平も切腹させなかった。藩校の弘道館も設立した。今は残っていないけど、ここでは素読(そどく)が教育の基本。論語などの古典を、まずは意味を考える前に、声に出して正しく読む学び方だそうだ。効率が悪そうにも思えるけど、まずは正しく読む。基礎を徹底するという考え方は、今でも大事なんじゃないかなと思った。

どうでもいいけど、外にある銅像が持っている棒みたいなものは何だろうと思ったら、笏(しゃく)らしい。昔の天皇や公家が持っていたもので、儀式ではメモのような役割もあったとか。ちょっと意外だった。
江藤新平
佐賀の乱で亡くなった江藤新平。そもそも佐賀の乱を知らなかった。乱だと謀反を起こしたみたいなので、最近は佐賀戦争と名称を変えて、見直されているそうです。

江藤新平は明治政府で活躍していたけど、征韓論で明治政府とスタンスの違いが生まれて、西郷隆盛と一緒に明治政府を抜けた。当時は特権を失った武士の不満がピークに達していて、その不満を抑えるために佐賀へ戻った際、謀反の疑いで捕らえられ、処刑されたそうです。西郷隆盛の西南戦争も同じような流れですね。
明治時代になって、武士は特権を失った。突然給料がもらえなくなって、刀も所持できなくなった。そりゃ、文句言いたくなる。そんな思い切った舵取りは、現在のようなリベラル平等主義が蔓延る中ではできないから、すごい時代。江藤新平は政府側で実績も残していたので佐賀では人気のようです。漫画にもなっていたので、読んでみようと思う。
佐賀をウロウロしていると、幕末・維新で活躍した「佐賀の八賢人」という言葉をよく聞く。その中でも、鍋島直正と江藤新平はすごい見るから、地元に愛されているだと思う。
薩長土肥はどこに行っても、幕末と明治時代に関する展示が多い。ただ、幕末に日本を変えようと動いた人たちの地域が、今は衰退しているように見えるのが不思議。鹿児島へ行った時も、萩へ行った時も同じことを感じたなあ。




















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