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姉川合戦|青木一重 vs 真柄十郎左衛門直隆

関武将隊・青木兼元(真柄斬り)

関市の刃物まつりで「関武将隊・青木兼元(真柄斬り)」というステージを見ました。青木兼元も真柄斬りも知らなかったので、ステージ後に歴史を調べたら、関市の誇る名刀と戦国武将にまつわる、めちゃくちゃアツいエピソードでした!

美しい波紋『三本杉』──関の孫六が生んだ名刃の模様

まず主役の一人、孫六兼元(まごろく かねもと)という鍛冶屋。美濃国関(今の岐阜県関市)は「刀のまち」として天下にその名が知られていました。孫六が作る刀は、「折れず、曲がらず、よく切れる」と戦国武将たちに大人気!

特に有名なのが、刃文(はもん)が杉の木が三本並んでいるように見える「三本杉」という波紋です。「関の孫六」のシンボルで、その技術と切れ味は後世まで語り継がれています。関鍛冶伝承館には三本杉の刀が展示されていました。

姉川合戦に現れた「北陸最強の真柄直隆」

そして物語の舞台は、1583年に起きた姉川合戦。織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が戦った合戦です。

この戦いで、浅井・朝倉軍側から、身の丈七尺(約2.1m以上!)とも伝わる巨漢の豪傑、真柄直隆(まがら なおたか)が登場します。昔の人は名前がややこしいけど、真柄直隆は本名、通称が真柄十郎左衛門(武士が日常的に使う呼び名)。

彼は、「末之青江(すえのあおえ)」という巨大な大太刀を振り回して、徳川・織田の兵を次々となぎ倒していき「北陸最強」と呼ばれていたそうです。

真柄が使った太刀のレプリカは、熱田神宮の草薙館に展示されていました。ものすごい重くて、「絶対嘘だ。こんなの振り回せない!」と思いました。

熱田神社の本宮

名刀が生まれた瞬間!「真柄斬り」の伝説

そんな規格外の豪傑の前に立ちふさがったのが、徳川家康の家臣、青木一重(あおき かずしげ)。美濃出身の青木一重は、その手に孫六兼元が鍛えた名刀を携えていました。一歩も引かない激しい戦いの末、青木一重は見事に真柄直隆を討ち取ります。

この武功によって、彼が使った刀は「真柄斬りの兼元」と呼ばれる名刀として、一気にその名を轟かせたようです。

ステージタイトル「青木兼元」は、人物名ではなくて刀の名前。関の刀が歴史的な大武功をおさめたことを表現しているんですね。

青木兼元(真柄斬り)

ステージ自体は、派手な殺陣のアクションや演出はほとんどなく、セリフは口パクだったけど、出演者の方々が着ていた甲冑が本格的で、戦いの雰囲気は伝わってきました。

関の刃物まつりのステージ

終了後には、子どもたちが武将隊のみんなと写真を撮ろうと大行列!地元では人気の「ご当地ヒーロー」的な存在みたいです。

歴史的な舞台の背景をこうして知ると、ステージの重みも全然違って見えます。やっぱり、歴史って奥深くて面白い。

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