タイトルと上映時間しか知らないまま「急に具合が悪くなる」という映画を見に行った。上映時間は196分。長いので、気合が必要だと思った。
がん闘病中の演出家と介護施設ディレクターの偶然の出会いと絆
濱口竜介監督がパリを舞台に、がん闘病中の日本人演出家と介護施設で働くフランス人女性ディレクターの偶然の出会いと絆を描いている。出会ってすぐに意気投合する2人の女性を中心に、認知症、老人、ガン、自閉症など、社会の中で「弱い存在」とされる人たちを描いている。2026年6月19日公開の国際共同製作の映画。平日なのに結構人が多かった。
最初のほうに一瞬寝てしまったが、途中からはのめり込んだ。それなりに重いテーマだったけど、観終わった後に残る余韻はポジティブだった。あまり興味はなかったけど、見てよかった。だけど、若いときだったら全然入り込めなかったかも。
介護の世界は他人事ではない。年配の友達がボケてきて、親もボケはじめてきてる気がする。自分も老いてきてフットワークもじわりじわりと悪くなる。
含みを持たせる内容だったので、理解できない箇所も結構あった。映画中に演劇があるんです。「健康な者たちは本当に生きているのか?」とか言ってるけど、いまいちわからない。他にもいろいろ気になるシーンがあって、帰ってから調べてみたら、考察している人がめちゃめちゃ多い。映画のストーリーを一部始終まとめている人もいて、行間を読むのが好きな人が多いことに驚いた。
この映画には原作があるんです。「急に具合が悪くなる」という同じタイトルで、宮野真生子と磯野真穂による往復書簡書籍。実話ベースだけど、細かい部分が結構変えているようです。
そういえば、三角形があって、上から、
- Democracy
- Capital
- Nature
と書かれていたけど、しっくりきてない…。資本がない場所にデモクラシーは起きないと言っていた気がする。どういうことなんだろう。
人を相手にするビジネスに共通する問題
フランス人の病院ディレクターが、病院経営の難しさを語っていた。助成金を受け取るには、重度の患者を受け入れる必要がある。しかし、重度の患者にきちんと対応しようとすると、従業員の負担が増え、増員が必要になり、経営が苦しくなる。
一方で、重度の患者は、自分がどのような対応を受けているのか理解することが難しい。だから、患者一人ひとりに向き合うより、流れ作業のように効率化したほうが、人員を増やさずに運営できる。
ディレクターはエマニチュードという手法を取り入れたい。エマニチュードは、見る・話す・触れることを大切にし、患者が立って歩く力を取り戻すことも重視する。患者にとっては良いことだけど、従業員の負担は増えるし、こけるリスクもあがる。また、歩けるようになると介護度が下がり、病院への補助金が減るというジレンマもある。
これは、人を相手にするビジネスに共通する。学校ビジネスも同じで、本気で一人ひとりに向き合えばコストが増え、利益を出すことは難しくなる。目的を早々と達成すると仕事がなくなるのもよくある。だから、コンサルは成果を出さずに、ダラダラひっぱる。
人を相手にする仕事で最も必要なのは時間。人間が求めているのは、単なるサービスではなく、人間による関わり。だけど、資本主義では時間はコストとして計算される。丁寧に向き合うほど時間が必要になり、利益との両立が難しくなる。だから、人を取り扱うビジネスは真面目にやれば儲からない。
日本は少子高齢化の先進国
病院のディレクターは、こんなことも語っていた。日本と韓国は家父長制の社会で、少子高齢化の先進国。家父長制とは、家庭や社会において男性が中心的な役割を持ち、女性が家事や育児を担うという伝統的な社会構造のこと。
資本主義が発展すると、労働者は単なる労働力ではなく、3食を食べられる消費者になった。栄養状態が改善し、医療技術も発展したことで、人は長生きできるようになった。しかし、技術革新によって給与が下がり、同じ収入を得るためには、より長く働かなければならなくなった。さらに家事や育児の負担が女性に偏る社会では、結婚や子育ての余裕が失われ、少子化が進んでいく。
つまり、資本主義の追求は、人々の時間を食い尽くす。発展は豊かさや長寿をもたらした一方で、少子高齢化という問題も生み出した。
人間が作った境界線が価値と差別を生む
人間が作った境界線(健康と病気、人間と自然、生産する者としない者、都市と自然)を問い直し、「生きる」とは何かを考える作品。特に、資本や都市社会が作った「価値の境界線」によって、病気や弱さを持つ人が外側に追いやられていくことへの問いかけが中心にある。イタリアは精神病院を廃止したんですね。知らなかった。
人は「健康な人」「病気の人」「生産できる人」「できない人」とラベルを貼られることで、その人自身ではなく、社会が決めた価値によって判断されてしまう。必要なのは、人を分類することではなく、一人ひとりの存在そのものを見ることなのに、ラベルでしか人を評価できない人が多い。ラベル化しなければ境界も生まれない。比較する必要もない。
僕は人と比較するレースからはだいぶん前に降りてるけど、降りてしまうと、資本主義のギラギラしたやつに飲まれてしまうのではないかという不安も生まれる。世の中は性善説ではない。だから、競争のレースから降りても、強くないといけない。
あ、そうそう。映画の後半に認知症の患者同志が足マッサージをするシーンがあるんです。足マッサージは大好きなんですけど、いいコミュニケーションですね。再確認しました。




















