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【東京歴史散歩】赤坂の勝海舟邸跡を訪ねて

勝海舟・坂本龍馬の師弟像

東京の赤坂は勝海舟が住んでいた場所なので銅像が立ってます。幕末が好きなら赤坂は楽しい。勝海舟(1823年–1899年)は、幕末から明治初期にかけて活躍した政治家。咸臨丸で日本初の太平洋横断航海を指揮したり、1868年の江戸城無血開城では西郷隆盛と交渉して、江戸が戦場になることを防ぎました。

勝海舟邸跡

墨田区生まれ勝海舟だけど、東京都港区赤坂に住んでいました。特に晩年を過ごした「勝海舟邸」(現在の赤坂氷川神社付近)は有名。当時、赤坂は幕臣や有力者が多く住むエリアでした。

  • 1859年 赤坂(当時36歳)
  • 1868年 静岡(当時45歳)
  • 1872年 赤坂(当時49歳)

1859年から1868年まで、勝海舟が住んでいた邸宅跡には碑と説明文があります。ここに36歳のときから9年間住んでいました。建物はもうないけど、マンションの前に碑と説明文があります。1868年は徳川幕府が終わった年なので、江戸が終わるまで住んでいたんです。

1868年1月3日、王政復古の大号令で、天皇を中心とする新政府が成立して、徳川幕府が実質終わります。その後、戊辰戦争が始まって、江戸無血開城(1868年4月11日)を経て、幕府は完全に崩壊しました。260年以上続いた江戸幕府が終わって、明治時代が始まります。

そんな幕末の混乱時期に勝海舟はこの場所で暮らしていたんです。幕末の交渉はまさにこの付近で行われていたのでしょう。

江戸無血開城の後、徳川慶喜は静岡(駿府)に移り住むことになって、勝海舟も徳川家を支えるために静岡に移住しました。1868年から1873年ごろまでです。その後、東京に戻って、赤坂(現在の「港区立赤坂子ども中高生プラザ」の場所)に居を構え、生涯をそこで過ごしました。

勝海舟・坂本龍馬の師弟像

勝海舟が1872年から1899年に77歳で亡くなるまでの27年間を過ごした屋敷があった場所がこちらです。現在は「港区立赤坂子ども中高生プラザ」になっていますが、勝海舟・坂本龍馬の師弟像がドンとあります。

港区立赤坂子ども中高生プラザ
〒107-0052 東京都港区赤坂6丁目6

工事中です。

勝海舟・坂本龍馬の師弟像

勝海舟の屋敷は東京市に寄付され、昭和2年に「港区立氷川小学校」になった。その氷川小学校は平成4年に廃校になって、現在「港区立赤坂子ども中高生プラザ」になっています。

勝海舟は力による衝突を避け、対話を重視した人物でした。坂本龍馬は、勝海舟を斬るために面会を申し入れたけど、話をしているうちに弟子になったというエピソードが書かれています。2人は考え方は違ったけど、坂本龍馬は勝海舟を師として深く尊敬していた。その様子を象徴する銅像、タイトルは「明日に向かって」です。

赤坂には赤坂氷川神社もあるし、大きな家が多いです。幕末にこのエリアでいろんな話し合いがなされていたのかと思うと感慨深い。

赤坂氷川神社 年越の大祓式