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【三重】伊賀上野城|藤堂高虎と忍者の歴史が面白い

伊賀上野城

伊賀上野城に行きました。伊賀忍者で有名な三重県伊賀市にあるんだけど、ここにはもともと平楽寺があったんです。「伊賀衆」が自治を行っていて、戦国時代は小領主たちが外部勢力に対抗していた場所。

天正伊賀の乱で壊滅

1581年、織田信長が「天正伊賀の乱」で攻めて、伊賀衆は壊滅。1585年、伊賀国守だった筒井定次が、平楽寺や大谷寺の建物を壊して城郭に転用。筒井時代は、当時の政治的中心地である大和(奈良)や京を見据え、城の東側に天守閣が作られた。でも、1608年頃、築城名人の藤堂高虎が領主になると、この構造は根底から覆される。

伊賀上野城の3つの天守閣

藤堂高虎

藤堂高虎は「豊臣兄弟」にも出てくる有名人で、もとは豊臣秀長(秀吉の弟)の重臣だったけど、秀吉の死後は徳川家康に接近。関ヶ原の戦いで家康の信頼を勝ち取り、外様ながら異例の寵愛を受けた人物。 浅井氏、豊臣秀長、豊臣秀吉、徳川家康など7度主君を変えて生き残り、伊勢津藩の初代藩主となった。主君がコロコロ変わるから信用できないやつなのかと思いきや、忠誠心が強かったそうな。あと、城作り名手としても名を残している。

藤堂高虎は豊臣の内情を知り尽くしていたので、大坂の豊臣家が攻めてくることを警戒していた。それで、豊臣軍を迎え撃つために天守閣をあえて西側に作り直したんですね。

高さ約30mの「高石垣」

石垣は「高石垣」というんですが、確かに高い。高さ約30m。大阪城に次いで全国2位。高虎は5重の大天守を計画したけど、完成前に暴風で倒壊し、江戸幕府の一国一城令などもあって長い間再建されなかったようです。

伊賀上野城の天守閣

今の天守は1935年、地元の代議士だった川崎克が「伊賀の象徴を復活させたい」と私財を投じて建てたんです。昭和に再建されたけど、川崎克は本格的な木造建築にこだわったので「昭和の木造再建天守」として有名になった。現在は3階建てで入館料600円。

伊賀上野城の藤堂高虎

1階には甲冑などが展示されていました。

「天正伊賀の乱」で各地へ散った忍者は、のちに「伊賀越え」で徳川家康を守った縁もあり、それで伊賀者は江戸幕府に重用され、服部半蔵のような伊賀系武士たちが幕府を支える存在になっていった。

伊賀忍者たち → 筒井定次 → 藤堂高虎 → 川崎克

忍者の拠点だったと思うと感慨深い。