山口に旅行したときの萩市の観光が楽しかった
萩市の歴史
戦国大名の毛利輝元は、広島城を作って、広島の町づくりの基礎を築いた。だけど、関ヶ原の戦いで徳川家康に敗れて、広島の領地を取り上げられた。防長二州(山口県東部と島根県西部)を与えられた毛利輝元は拠点として萩を選び、1604年に萩城を作った。
徳川家康は全国の大名が新たに城を築くことや既存の城を修築することを制限する「一国一城令」を発布したけど、1615年なので、萩城はそれまでに完成。萩城は明治維新後の廃城令で取り壊されたので、現在は石垣や堀だけです。
幕末には、毛利藩の家臣たちが倒幕運動の中心となって、吉田松陰や高杉晋作などが活躍した。ギラギラしたやつが多かったエリア。

萩市は河口の三角州。萩に行ったら、萩城跡と浜崎町という港町がオススメ。昔は港が栄えていたのです。
浜崎伝統的建造物群保存地区
浜崎は萩城下の外港として栄えた商人町で、城下町からは少し離れている。江戸時代には商業の中心地として発展し、現在「浜崎伝建地区」として重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
観光客向けの無料駐車場があります。昔は劇場で、その後、スーパーになって、駐車場になったそうです。無料なのがうれしいですね。

浜崎伝統的建造物群保存地区は水産業で栄えた港町の雰囲気がそのまま残っています。古い町家が残っていて、ブラブラ散歩するだけで楽しい。
ただ、朝9時過ぎだったからなのか人が少なかった。山口県はあんまり活気がないんですよね。
旧山村家住宅 Former Yamamura Family Residence
浜崎伝統的建造物群保存地区に行ったら、旧山村家住宅に行ってください。商業を営んでいた山村家の家族が住んでいた家なんですが、ボランティアガイドの方がいろいろ教えてくれます。


山口県はいまでも一次産業しかないそうです。でも、魚も取れなくなり、「いい魚は福岡にいっちゃうよ」と言ってました。
住居の裏にはトイレだけの離れがあるんですが、トイレの真上に部屋があって面白い。
部屋には引札という昔の広告が飾られていて、当時の値段や文字から時代を感じます。

江戸時代の萩市の地図もありました。
左側の萩城跡に近いエリアは上級武将が住むので敷地が広い。南や東に行くと区画が狭くなっていく。
萩は3つの村で成り立っていて、それがまとまらず、それぞれに駅を作ったそうな。だから萩は電車が不便なんです。もしも村がまとまっていたら駅が1つになっていたかもしれない。そしたら、交通の便はもっとよくて、発展したかもしれない。だけど、昔の建物はなくなって、いまのような街の面影はなかったかもしれない。どっちがいいのかわからない。
旧萩藩御船倉 Hagi Domain Boat Shed
旧山村家住宅のすぐ近くに旧萩藩御船倉があります。ボランティアガイドが連れてきてくれて、蔵をあけて見学させてくれました。


昔はここに大きな船を停めていたそうです。船倉を初めてみた。
積み上げられた石の上に屋根があって、迫力がある空間です。ライブで使われることもあるようです。ガイドの人に教えてもらわないと通り過ぎてしまいます。
旧小池家土蔵 Former Koike Family Storehouse
次が連れてきてくれたのが旧小池家土蔵。


祭りで使われていた御船(御神輿みたいな船)と大きな天狗の顔がありました。
萩の街は三角州だから、大雨になると洪水の被害が頻繁に起こった。だから、藍場川を作った。川の氾濫を防ぐだけでなく、農業用や運輸用にも使われていたそうです。
幕末はギラギラしていた山口県。
なんか元気がなかった。インフラは大事ですね。
山口県の東側は広島の真似をして、西側は福岡の真似をする。だから、山口は左右2つにわかれた文化があるそうです。
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