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【東京観光】浅草寺を歩く:観光地から歴史の舞台へ

浅草寺 雷門

浅草寺(せんそうじ)は東京を代表するお寺で、観光の定番スポット。東京で最も古いお寺らしい。初めて来たのは、東京に引越ししてきたとき。友達が雷門に連れてきてくれました。その後、何度も行ったけど、正直なところ歴史的な背景はよくわかってなかった。最近、歴史やお寺に興味があるので、久しぶりに浅草寺をゆっくり歩いてみた。

浅草寺の歴史

正式な名前は「金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)」。だから雷門の上には「金龍山」と書かれているし、境内のあちこちに龍の姿がある。ドラゴンボールの世界みたいで楽しい。雷門をくぐると、本尊までの参道に店が立ち並ぶ。仲見世通り(なかみせどおり)というんだけど、めっちゃ賑やか。歩いているだけで楽しい。この仲見世通りは、江戸時代に掃除などの奉仕をすることを条件に、寺から営業を許されたのが始まりだそうだ。

飛鳥時代

浅草寺の始まりは飛鳥時代の628年頃。今からおよそ1400年前、隅田川で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)という兄弟が、網にかかった小さな金色の仏像を見つけたことがキッカケだそうです。その像を仏様と信じて祀ったのが、土地の長者だった土師中知(はじのなかとも)という人物。彼はその仏像が聖観音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)だと見抜き、出家して自らお堂を建て、観音様を祀った。それが浅草寺の始まり。参道の脇の壁には浅草寺の歴史がイラスト付きでわかりやすく解説されているので、ぜひチェックしてみてください。

江戸時代

江戸時代には、徳川家康が浅草寺を幕府の祈願所と定めたことで、その名はさらに広まり、門前町も栄えます。だから、仲見世通りは江戸時代に始まったそうです。浅草は大東亜戦争のときの空襲で被害を受けて、本殿も雷門も山門も五重塔もなくなって、浅草神社と二天門だけ残ったんです。だから、浅草神社と二天門だけ木造で、他はコンクリート。戦後に雷門を再建したのは松下電器。雷門の大きな提灯も10年ごとに新調されているそうです。日本の大手企業の社会貢献はすごい!

観音菩薩

浅草寺の本尊は聖観音菩薩で、お参りのときには「南無阿弥陀仏」ではなく「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」と唱えるそうです。この観音菩薩は秘仏とされていて、誰も見ることはできない。長野の善光寺も秘仏だったけど、そういうのが多いのかな?浅草寺では、代わりに掘られた像が毎年12月に1日だけ公開されるそうです。あと、天台宗だと思っていましたが、「聖観音宗(しょうかんのんしゅう)」という宗派でした。

寺に誰が祀られているかあまり意識したことなかったけど、観音菩薩は、困っている人や苦しんでいる人を救うために現れる仏さまらしい。行動だけ見たら、カトリックの人が教会に行くのと変わらないですね。

外国人観光客が多い浅草寺

浅草はものすごく観光客が多くて、浅草寺の年間参拝者数はおよそ3000万人。三社祭という祭りでは最終日だけで約100万人以上。ものすごいですね。

浅草寺の本尊

本尊のどこかに秘仏の観音菩薩がいるんですね。

浅草文化観光センターのボランティアガイド

雷門の前の「浅草文化観光センター」に行けばボランティアガイドが無料ツアーをやってくれます。事前予約したほうが内容が濃くなるんですが2名からなんです。週末は予約なしでもガイドがいれば案内してくれます。僕はガイドの話を聞きながら観光地を歩くのが好きなので、東京SGGクラブの方に1時間ガイドしてもらいました。東京はボランティアでガイドしてくれる団体がたくさんあります。

浅草神社には徳川家康も祀られている

ちなみに、浅草寺の隣には浅草神社という小さい神社があります。浅草寺は(せんそうじ)なのに、浅草神社は(あさくさじんじゃ)と読むのが不思議。

浅草神社の御祭神は、観音像を見つけた竹成兄弟と、観音像を祀った中知です。彼らを神として祀っていて、浅草神社のことを「三社様(さんじゃさま)」と呼ぶんです。さらに面白いのは、徳川家康も祀られているんです。あとで追加されたんです。徳川家康をあちこちに祀ることで徳川幕府を絶対のものとしていったんですねえ。江戸時代は面白い。

善光寺がある長野も栄えているけど、浅草もすごく栄えている。寺の門前町って今でも栄えているところと寂れているところの差がすごい。なにが違うのか気になります。

浅草寺にお参りしたあとは、隣の浅草神社にもぜひ立ち寄ってみてください。