鳥取城跡は、鳥取市の中心部にそびえる久松山(きゅうしょうざん)に築かれていた山城。跡地は現在も残っている。その立地から、鳥取城は「久松城(きゅうしょうじょう)」とも呼ばれています。山頂からは鳥取市街や日本海を一望できて、戦国時代から江戸時代にかけての歴史が感じられる場所です。
とっとり観光ガイド友の会
城があったら行ってみる。「とっとり観光ガイド友の会」のガイドさんに1時間案内してもらいました。豊臣秀吉が兵糧攻めで落とした城、ということしか知らなかったけど、実際に歩いてみるといろんな発見がありました。

最初に「日本100名城をめぐっているんですか?」と聞かれたんですが、鳥取城は「日本100名城」というのに入っているそうです。


城跡なので城はもうない。だけど、堀はあるし、橋と大手門は再建されているので、当時の規模感を感じられる。思っていたより広い。

徳川の「葵の御紋」があるんです。鳥取藩って徳川とつながりが深かったんですね。

山です。山の斜面に築かれた城です。32万石と言われてピンとこなかったけど、かなり大きい。32万石は「国内12番目」の石高だったそうです。石垣も残っている。
仁風閣
敷地内には鳥取県立鳥取西高等学校があるんだけど、「仁風閣」という洋館もある。修復中で中には入れなかったけど、明治天皇が鳥取を訪れる際に建てられたそうです。作ったのは東京の赤坂迎賓館を作った片山東熊。
「天皇が旅行のたびに建物を建てるなんて無駄じゃないか!」と思った。だけど、仁風閣ができた時に初めて鳥取に電気がひかれたそうです。地方の近代化という意味では天皇の旅行も重要だったんですね。
参勤交代も同じ。一見無駄な出費だけど、強制的にお金を使わせることって、経済活動に繋がるし、文化交流にも繋がりますね。お金は使ったほうがいいなと思いました。
姫路城の弟城
関ヶ原の戦いの後、姫路城を築いた池田輝政(いけだてるまさ)の孫・光政(みつまさ)が、拡張整備。姫路城大天守の築城に携わった職人たちが起用されたので、「姫路城の弟城」とも呼ばれているそうです 。
天球丸巻石垣
観光スポットの1つが石垣が丸くなっている天球丸。江戸時代の終わり頃に、石垣が崩れるのを防ぐために球型に積み上げたそうな。

二ノ丸
登っていくと二ノ丸という場所があります。桜の木が植えられた広場があって、景色がよかったです。

頂上の山上ノ丸(天守跡)に行くにはいろんなルートがあります。天球丸からや鳥居から行くんですが、片道30分ほどらしい。整備はされているけど、石段も多くてちょっとした登山と行ってました。時間がなかったので登れなかったのは残念。東照宮からも行けるようです。


こんな大きな城を、戦わず兵糧攻めで落とした秀吉の知略はやっぱりすごい。
城跡があるだけです。観光客はほとんどいない。入場料もないし、売店もない。だけど、城には歴史が詰まっているので楽しい。ガイドしてもらって正解でした。時間に余裕があれば、ぜひガイドさんと一緒に歩いてみてください。
豊臣秀吉が鳥取城を兵糧攻めして落とした時、鳥取城の城主は吉川経家。この人のカッコ良さも要チェックです。





















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