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【愛媛観光】秋山兄弟生誕地

秋山兄弟生誕地

坂の上の雲ミュージアムからテクテク歩くとすぐに秋山兄弟生誕地に着く。

日露戦争を戦った秋山兄弟

秋山兄弟は、日露戦争を戦った日本の軍人。兄の秋山好古(あきやま よしふる)が陸軍の将校、弟の秋山真之(あきやま さねゆき)が海軍の軍人。兄弟で活躍して、日本の戦争勝利に貢献した。

愛媛県松山市の秋山兄弟生誕地

秋山兄弟生誕地は愛媛県松山市にある彼らが生まれ育った家。入場料300円。入るとすぐに2人の銅像がありました。

ガイドのおじちゃんがいて、質問したらなんでも教えてくれました。聞けば聞くほど教えてくれます。

とにかく秋山兄弟のルーツが気になっていたのでいろいろ聞いた。5男1女なのに、2人以外の兄弟の話がほとんどでてこない。それが不思議でした。そしたら、養子になった人や、早く死んだ人、それぞれだったようです。みんな仲はよかったそうです。1人の兄弟は、秋山兄弟が面倒を見ていたそうです。

英才教育しなくても、志さえを持つことができれば人は育つんですねえ。

太平洋戦争で崩壊した秋山好古の家を復元

秋山好古さんは、大正13年に陸軍大将を辞めて、松山の北予中学校校長になる。そして、この家で単身生活を送っていたそうです。だけど、太平洋戦争末期の松山大空襲で松山一面が崩壊。この家も崩壊。それを復元したようです。

秋山好古の家を復元

この家の設計図は残っていなかったんです。だから、好古さんが住んでいた時にこの家に訪れていた親戚・石井悦子さんや好古の四女・米田治子さんから話を聞いたり、当時の写真をもとに復元したそうです。

秋山好古さんが校長になって、北予中学校の入学希望者が増えて急速に発展したそうです。生涯最後の6年間。書いた字が飾っていたんですが、どんどん字が上手になっていました。いつまでも鍛錬。

「人間は貧乏がええよ。艱難(かんなん)汝を玉にすと言うてね、人間は苦労せんと出来上がらんのじゃ。苦を楽しみとする心がけが大切じゃ」

自分の人生、単純明瞭でありたいと、思っている

秋山眞之は部下の故郷を訪問

秋山眞之さんは戦争が終わったのち、死んだ部下の故郷をまわって、どんな死に様だったかを親族に語ったようです。訪問記録が展示されていました。

戦争で死んだ部下の家族を訪問

秋山眞之さんが子どものころ、親友・桜井真清(のちの海軍少将)らと花火をつくって打ちあげ、巡査に捕まるというエピソードがドラマの最初にあります。その親友の桜井真清さんが書いた「秋山真之」という本があって、それを司馬遼太郎が読んで、坂の上の雲が生まれたと言ってました。これはビックリぞな。

あと、ここでは青少年の育成と心身の鍛錬を目指し、常盤同郷会という活動をやっているようです。根性が時代遅れになってきてますが、良き日本のルーツでもあるこういう活動は続いて欲しいです。 行ってよかった。おじさんにいろいろ説明してもらって、とても楽しかった。

この時に、ガイドに亀老山展望公園をすすめられたので行きました

亀老山展望公園から見える来島海峡大橋