NHKオンデマンドで坂の上の雲を見た。そしたら、坂の上の雲ミュージアムに行きたくなる。秋山兄弟生誕地にも行きたくなる。で、行ってきました。
目次
坂の上の雲とは
『坂の上の雲』(さかのうえのくも)は、司馬遼太郎の歴史小説。明治維新を成功させて近代国家として歩み出し、日露戦争勝利に至るまでの勃興期の明治日本を描く。『産経新聞』夕刊に、1968年(昭和43年)4月22日から1972年(昭和47年)8月4日まで1296回にわたり連載された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/坂の上の雲
驚くことに、坂の上の雲ミュージアムには駐車場がなかった!観光客はだいたい車で行くと思うので注意してください!
秋山兄弟生誕地がすぐ近くにあるので、その間ぐらいに車を停めて両方を見るのがおすすめです。
坂の上の雲ミュージアム
入口がちょっとわかりにくい坂の上の雲ミュージアム

入場料は400円。当然だけど、坂の上の雲を見た人のほうが楽しめるミュージアムです。安藤忠雄建築なので、建築好きにもいいかもしれない。三角形で変わった形をしています。
建物以外は撮影禁止が多い。撮影OKにしたほうが広まりやすいのに。もったいない。
「坂の上の雲」の連載が壁一面にあった。めちゃすごい。産経新聞に4年間連載。絵もかっこいい。本当にすごい!
第15回 企画展は「運命の海」日露戦争に関するものでした。本当によく勝った。当時の日本人の頑張りの恩恵を受けていると思います。超感謝です。
知らなかったけど、ボランティアガイドがいました。また行く機会があればガイドにいろいろ聞きたい。
坂の上の雲が好きなら問答無用で楽しめる場所です。
秋山兄弟生誕地
ミュージアムからテクテク歩くとすぐに秋山兄弟生誕地に着く。

入場料300円。ガイドのおじちゃんがいて、質問したらなんでも丁寧にわかりやすく教えてくれました。聞けば聞くほど教えてくれます。
とにかく秋山兄弟のルーツが気になっていた僕。兄弟のことも聞いた。5男1女なのに、2人以外の兄弟の話がほとんどでてこない。それが不思議でした。そしたら、養子になった人や、早く死んだ人、それぞれだったようですが、みんな仲はよかったそうです。1人の兄弟は、秋山兄弟が面倒を見ていたそうです。
英才教育しなくても、志さえ持つことができれば人は育つんですねえ。
太平洋戦争で崩壊した家を復元
秋山好古さんは、大正13年に陸軍大将を辞めて、松山の北予中学校校長になる。そして、この家で単身生活を送っていたそうです。だけど、太平洋戦争末期の松山大空襲で松山一面が崩壊。この家も崩壊。それを復元したようです。
この家は設計図が残っていないから、好古さんが住んでいた時にこの家に訪れていた親戚・石井悦子さんや好古の四女・米田治子さんから話を聞いたり、当時の写真をもとに復元したそうです。
秋山好古さんが校長になって、北予中学校の入学希望者が増えて急速に発展したそうです。生涯最後の6年間。書いた字が飾っていたんですが、どんどん字が上手になっていました。いつまでも鍛錬。
「人間は貧乏がええよ。艱難(かんなん)汝を玉にすと言うてね、人間は苦労せんと出来上がらんのじゃ。苦を楽しみとする心がけが大切じゃ」
自分の人生、単純明瞭でありたいと、思っている
秋山眞之さんは戦いが終わったのち、死んだ部下の故郷をまわって、どんな死に様だったかを親族に語ったようです。
秋山眞之さんが子どものころ、親友・桜井真清(のちの海軍少将)らと花火をつくって打ちあげ、巡査に捕まるというエピソードがドラマの最初にあります。その親友の桜井真清さんが書いた秋山真之という本があって、それを司馬遼太郎が読んで。そして、坂の上の雲が生まれたと言ってました。これはビックリぞな。
あと、ここでは青少年の育成と心身の鍛錬を目指し、常盤同郷会という活動をやっているようです。根性が時代遅れになってきてますが、良き日本のルーツでもあるこういう活動は続いて欲しいです。 行ってよかった。おじさんにいろいろ説明してもらって、とても楽しかった。
この時に、ガイドに亀老山展望公園をすすめられたので行きました。
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