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【香川旅行】丸亀城|日本一高い石垣と小さい天守閣

丸亀城

丸亀城に行ってきました。日本一高い石垣が有名で、現存12天守の中で一番小さい天守を持つ城です。

旅行に行くと城に行きます。もともと、戦国時代に戦いのために築かれた。でも、戦が終わり平和な江戸時代に入ると、城は行政や経済の拠点になる。江戸時代初期には約3,000の城があったそうです。明治時代になると、廃城令などの政策で多くの城が取り壊された。その後、戦争や地震といった災害によって失われた城も多い。だから、現在も姿を残している城はすごく貴重。天守閣がそのまま残っているのは12城だけですからね。だから城を訪問して、どんな人が作って、どんな戦いがあったか調べる。そしたら意外と面白いんです。

丸亀城ができた時代背景

豊臣秀吉は天下統一を果たした後、家臣の生駒親正(いこま ちかまさ)に讃岐(現在の香川県)を与える。彼は高松城と丸亀城を築きました。この2つの城は、戦国時代の勢力争いの中で、豊臣秀吉が朝鮮出兵に備えて各地に築城を進めた際に築かれたようです。

丸亀城

瀬戸内海では船による移動が一般的だったから、海沿いの交通の要所に築かれました。貿易の拠点でもあったわけです。

「日本一高い石垣」と言われる丸亀城

丸亀駅から歩いて行きました。丸亀城は海上交通の要所として、北側の海を見張るために亀山に石垣を積み上げて作られているので標高66m。

石垣の名城

入り口から天守までの坂道は少しきつく、良い運動になる。

丸亀城の高石垣

石垣の美しさや歴史的価値は理解できるけど、熊本城のほうが迫力があった。

丸亀城の天守閣

入場料は大人400円。階段で三階まで上がれるけど、展示はほとんどなくて、見どころはなかった。

「現存12天守」「日本100名城」「日本一高い石垣」なので期待して行ったけど、小さい天守閣があるだけ。防御も強くなさそう。正直、『あれ、こんなもの?』って感じでした。他の城と比べると物足りなさを感じてしまいました。

戦いのための城というより、見張りのためのような感じ。

天守閣から見た景色

海が見えて見晴らしは良かったけど、「わざわざここを目指して来るほどではないかも…」というのが正直なところ。大きな期待をして訪れると、がっかりするかもしれません。

また、城のまわりにはガイドっぽい人が何人かいたけど、どう依頼すればいいのかわからず戸惑いました。受付などを設けて、ガイドを希望する人がスムーズにお願いできるようにしたほうが良いと思う。

丸亀城の歴史

関ヶ原の戦いの後、徳川家康の政策で日本中の城が取り壊された。1615年の一国一城令です。生駒氏は、高松城を残し、丸亀城を廃城。しかし、丸亀藩が高松藩から独立し、1641年に丸亀藩主・山崎家治が同じ場所に再び城を築き、現在見られる石垣や天守が整備されました。

  • 1590年 豊臣秀吉が小田原征伐で北条氏を滅ぼし、天下統一を達成
  • 1590年 秀吉の家臣・生駒親正が高松城の築城を開始
  • 1592年 文禄の役(第1回朝鮮出兵)開始
  • 1597年 慶長の役(第2回朝鮮出兵)開始
  • 1597年 秀吉の家臣・生駒親正が丸亀城の築城を開始
  • 1598年 豊臣秀吉が死去

そういうわけで、丸亀城での戦いの記録はない。

丸亀城の歴史

城に入ったときにもらった資料に丸亀城の歴史が書かれていました。でも、ウェブサイトのほうがもっと詳しいです。

丸亀城は石垣の名城だから石垣を見よ!

注意点があります。丸亀城は石垣の名城なんです。だから、天守閣じゃなく、城の外からちゃんと石垣を見ないといけない!

丸亀城の地図

石垣を見るポイントがあるのでしっかりチェックしておきましょ。僕は市立資料館のほうから入って、大手一の門のほうに抜けていったんですが、写真スポットを見逃しました(涙)。

二の丸井戸の逸話

二の丸井戸というのがあって、チラッと見たんですが、ここにも逸話があった。城でもらったパンフレットに書かれてました。石垣を作った働き者の羽坂重三郎という男がいたそうです。殿様がこの石垣に大満足で、「誰も乗り越えられないだろう!」と喜んでいたら、その羽坂さんは、「棒で登れますよ」といって、登ったそうです。その男のことを脅威と思った殿様は、井戸を探らせて、石を落として殺したそうな。

城に泊まれる キャッスルエクスペリエンス

あと、この丸亀城は宿泊できるんです。2024年から「城泊(しろはく)」とサービスが始まってます。2人利用で1泊2日朝夕2食付き、税込みで126万5000円です。さすがに僕には無理ですけど、面白そうな体験です。