高松城は香川県高松市にあるお城で、日本三大水城のひとつ。戦国時代末期、1590年に豊臣秀吉の家臣・生駒親正という武将が築城。海のすぐそばに建てられていて、堀に海水を引き込んでいるのが特徴。明治時代に天守閣は取り壊されてしまったが、城の一部である月見櫓や艮櫓、水手御門は残っている。

現在は「玉藻公園」として整備されていて、堀には今も海水が入り、鯛に餌をあげる体験ができたり、お堀を船で巡る「和船体験」もできる。園内には明治時代に建てられた迎賓館「披雲閣」もある。そんな高松城に行きたかったけど、時間の都合で隣の香川県立ミュージアムに行った。
香川県立ミュージアムの高松城
歴史と美術の展示を行っているけど、3階の常設展は香川の歴史、2階が企画展になっている。常設展も興味深かったけど、企画展「高松城の歴史」も面白く、気づけば2時間滞在していた。入館料は1,200円。

日本の観光地にはボランティアガイドが多いけど、ここは音声ガイド(550円)のみ。これまで音声ガイドが役に立った経験がなかったので、利用を見送った。
2階は撮影禁止のエリアもあり、写真はあまり残っていないけど、高松城について深く理解できるよい展示だった。常設じゃないのが残念。

「天守の高さくらべ」の展示で高松城が26.6mって書いてました。高松城はもう天守閣がないから、もしあったらって話ですよね?天守の高さ、石垣の高さ、水際、いろんな視点で、日本◯大城を勝手に作ってアピールしてるのが最近ようやくわかった。
戦国時代
戦国時代に多くの武将が城を築いたが、四国では秀吉が制圧後、家臣の生駒氏が高松城と丸亀城を築いた。目的は朝鮮出兵の拠点づくり。その後、関ヶ原の戦いを経て徳川の時代となり、「一国一城令」により高松城が残され、丸亀城は一度取り壊された。戦国時代末期にできてるので、これらの城は戦いでは使われてないようです。
明治維新
明治維新では、高松は旧幕府側、丸亀と高知は新政府側。鳥羽伏見の戦い(1868年)で旧幕府軍は敗北。高松藩は旧幕府に味方していたので、新政府軍から「朝敵」とみなされる立場になった。高松藩は新政府側につこうとしたが、新政府は藩主を謹慎処分とし、家老を切腹させた。だから、明治維新の戊辰戦争でも高松城で戦いは行われてない。切腹した人が展示されてました。
明治時代
明治に入り廃藩置県で香川県が生まれたけど、県の編成はたびたび変わり、香川県が一時消滅して愛媛県に統合される。最終的には愛媛から再び分かれ、「三度目の香川県」として現在に至るそうです。

明治時代って城を取り壊したり、県を作ったり。変化をしたけど、文化も失った。
3階の歴史展示室「かがわ今昔~香川の歴史と文化~」も見どころが多い。縄文人と弥生人の展示では、それぞれのルーツの違いが解説されていた。

弥生人の顔が違う。

支那事変国債のポスターもありました。国債が無料?と思ってAIに聞くと、「有料で買うけど、無料で預かってくれるだけだよ。」と言われました。
現代に至るまでの香川の歴史がわかりやすく紹介されていて面白い。香川県(讃岐)出身の空海に関する展示コーナーも充実していた。
また香川県に来ることがあれば、高松城のガイドツアーに参加します。
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