さくらんぼを食べていて、ふと実家の桜を思い出した。
小さな庭に立っていた、太いサクラの木。
両親が結婚祝いにいただいたもの。
春には、庭でささやかな花見をした記憶があります。
けれど、実がなると毛虫が大量発生し、やがて根が家を脅かすほどに育ち、抜かれてしまいました。
大人になって知ったのは、日本中に咲く「ソメイヨシノ」は、クローンで人工的に作られた桜だということ。
実をつけず、花だけが咲く特別な桜。
実を捨て、花を選んだ。美しさを大切にした。
その姿に、日本人らしい奥ゆかしさを感じました。
僕だったら、きっとさくらんぼの多さを追い求めてしまう。
そんな折に出会った短編集『茗荷谷の猫』(木内昇)に、『染井の桜』という話がありました。
江戸時代、染井の地にいた無欲な植木職人の物語です。
彼は、自分の技術を惜しみなく周囲に分け与え、その桜は全国へと広まっていきました。
「どうぞ、自由に使ってください」という姿勢が、文化をつくった。
いまでは、多くの外国人旅行者が桜を目当てに日本を訪れます。
それは、QRコードも同じ。デンソーウェーブが特許を囲い込まず、自由に使わせたからこそ、世界に広がった。
独占より共有、利益より信頼。
静かに、でも確実に広がっていく——それが、日本人っぽい。
散るからこそ美しい桜のように、儚さを受け入れながら、
誰かのために差し出された無欲の行為が、やがて大きな価値になる。
けれど、無欲の行為がいつも幸福をもたらすとは限らない。あの武士の妻は、夫を支えながら、自分の想いを口にすることなく人生を終えた。
合理的に考えることは大切だけれど、
合理的ではないものが好き。
たとえば、実もならず、すぐに散ってしまう花のようなものを。
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