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目が見えない世界が気になった全盲の人の本を3冊読んだ。

全盲の真っ暗な世界

ひょんなことから全盲の人と知り合った。視覚障害に接したのははじめてです。知らないことばかり。「話しかけてる時はまず名前を名乗ってください。」と言われたのをよく覚えています。当たり前のことだけど、言われるまで気づかなかった。

全盲の世界

視覚障害者にもいろいろあって、視界が真っ暗な全盲の人はあまりいないそうです。平成28年の厚生労働省の資料を見たら、視覚障害は1級から6級まであった。視覚障害1級者数は119,000人、65歳未満は26,000人(0.02%) でした。

ちなみに、視覚障害者の人数は横ばいですが、障害者手帳の所持者はかなり増えています。どういう障害なんだろう?と思って調べてみると、メンタル系でした。精神的に病んでしまっても障害者と認定されるんですね。

参考:平成28年生活のしづらさなどに関する調査(全国在宅障害児・者等実態調査)結果

話を戻して、全盲の人の話で印象的だった言葉です。

できることをできないと思われると困る。

手取り足取りしてもらうと、子供扱いされている気にもなる。

全部されてしまうと、自分でできなくなるから問題なんです。

でも、できないことをできると思われても困る(笑)。

必要以上に優しくしなくていい。同等に扱ってほしい。でも、困っていたら助けてほしい。

僕は誰かに支援してもらうのが嫌い、お願いするのは苦手。自分が支援されるのが好きじゃないから、誰を支援するのも苦手。助けることは当たり前化するでしょ。本人の成長を阻害すると思うからです。だからボランティアもしない。誤解を恐れずに言うと、人助けは自己満足だと思っています。いろんな国に行って、いろんな活動をして、たどり着いた結論です。

とはいえ、全盲の方との出会いはご縁だと思いました。僕にできることを考えました。何度もお会いして話を聞きました。そして、知ったことを残そうと思いました。そんな時、ふと全盲の方でもいろんな方がいるだろうと思って、アマゾンで「全盲」で検索してでてきた本を3冊読みました。

全盲ハッピーマン 大平 啓朗

24歳のとき、失明してしまった大平 啓朗さん(おーちゃん)の話。大学の研究室でお酒を飲むつもりでエタノールを飲んだ。しかし、そのエタノールが有害なもので失明してしまった。

最悪なストーリだけど、この本に悲壮感はない。そういう編集をしたのか、根っからの明るい方なのかはわからない。だけど、超ポジティブな内容です。コミュ力も高そうで、友達も多そうです。高橋あゆむさんとの出会いで書籍化したっていうのも、性格が見え隠れする。だからサンクチュアリ出版から出た本です。

本は全盲になってから現在に至るまでの大平さんのストーリーです。よく聞かれる質問が要所要所に挿入されていて、目が見えない人の考え方を感じられます。

失明したことより体が動かなくてオムツを履いていたことのほうがショックだった。失明したことより彼女に振られたときのほうがショックだった。みたいなのもある。

47都道府県をひとり旅して、写真(写心)を撮る。全盲なのにあちこちに行っていて驚く。いろんなことにチャンレンジしている。人を繋ぐことをもっと頑張りたいそうです。

全盲ハッピーマン 大平 啓朗

クラファン 世界を広げるフォトエッセイを多くの人に届けたい。

おーちゃんのマーケティングはできすぎてて乗りにくい(笑)。サンクチュアリ出版っぽい感じです。

全盲ハッピーマン!世界を広げるフォトエッセイを多くの人に届けたい。僕の「目が見えていた」24年間と、「心で感じてきた」17年間を、1冊の本に。

https://readyfor.jp/projects/happyman
水野美紀さん ✖︎ おーちゃん 対談映像

できることの見つけ方 全盲女子大生が手に入れた大切なもの 石田 由香理、西村 幹子

プライドが見え隠れする全盲の女子大生の石田 由香理さんの本。音声入力で本を書いたそうです。泣けます!

1歳3ヶ月のとき、目の病気にかかって、眼球を摘出して全盲になる。17歳のとき、家族の繋がりが途絶える。親の支援を受けられない中、勉強を頑張って、1浪して、ICUに合格。すごいです。

彼女の大きな転機は、大学中に行ったフィリピン。そこで、日本とフィリピンの違いを知った。自分のできることを見つけて、自己肯定感も上がったようです。強みを持つことは本当に大事ですね。

1回ダメでも諦めない。基準なんてない。甘やかされたくない。健常者と同じように扱って欲しい。そういう想いが伝わってくる。

やっぱり障害者に優しく接しすぎるのはダメと思った。可哀想という感情自体が、プライドを持って生きている方には失礼ですね。上から目線ではなく、同じように接することが大事。ヘルプを求めてもいいんだよという空気を作りつつ、ヘルプを求められたときはヘルプする。でも、それって障害者に対してだけでなく、誰に対してもそうですよね。過保護は人の可能性を消してしまう気がする。

全盲女子高生の自伝にとどまらず、今後の社会のあり方にも問題提起している本でした。

できることの見つけ方 全盲女子大生が手に入れた大切なもの 石田 由香理、西村 幹子

クラファン 障害者の可能性を閉ざさない フィリピンたった1つの盲学校の挑戦

石田 由香理さんはすごいです。フィリピンには盲学校が少ないようで、視覚障害者を支援する活動をしてました。

生まれた環境で未来を閉ざさないでほしい。支援の行き届かないフィリピンの視覚障害のある子どもたちへ最高の学習環境を届けたい!

https://readyfor.jp/projects/ftcj_phspd

YouTubeチャンネルもあって英語で話してます。

目の見えない私が「真っ白な世界」で見つけたこと 全盲の世界を超ポジティブに生きる 浅井 純子

30歳で目に違和感を感じて、45歳で全盲になった浅井純子さんの話です。ポジティブなストーリーです。

浅井さんもクラファンしてました。

目に障害を持って全盲になって、最終的に義眼になってます。15年間そんな生活を送ってます。だけど、とにかくポジティブです。いまは視覚障害者として公演したり、ウクレレを弾いているようですが、壮絶な経歴です。

  • 28歳、足が異常に痒くなる。
  • 30歳、目に痛みを感じた。コンタクトで傷がついた?チクチクする。目に白いブツブツができる。モーレン潰瘍と診断され、角膜移植が必要と言われる。
  • 31歳、阪大病院の眼科に行く。アイバンクに登録して、角膜移植の手術をする。その後、週2回の通院。メガネでも矯正不可能になり、障害者手帳を取得。その後、病院に通院、手術、治療を何度も繰り返す。
  • 35歳、(すこし)自殺を考える。
  • 36歳、新しい医者と出会う。そして大きな手術をする。
  • 37歳、人工角膜移植手術
  • 41歳、ヘルスキーパーとして就職
  • 42歳、盲導犬とパートナーになる。
  • 43歳、全盲になる
  • 44歳、演劇の舞台に立つ
  • 45歳、義眼
  • 48歳、書籍発売

どういう環境が人をポジティブにさせるのか?そういう部分も興味があります。また、印象深かった部分として、全盲になると、視覚で人を判断できない。だから、見た目、年齢、性別、国籍、肩書きが意味をなさない。というのがありました。視覚から得られる情報って重要なのかな?

目の見えない私が「真っ白な世界」で見つけたこと 全盲の世界を超ポジティブに生きる 浅井 純子

クラファン 盲導犬、視覚障がい者について知ってもらうための動画、盲導犬とペアルックの服をつくりたい!

視覚障害者や盲導犬を知ってるもらうための映像制作を行ってました。

目の見えない私に出来る事〜盲導犬について子供達へ映像教材を〜。視覚障がい者が普通に暮らせる社会をつくるために。盲導犬、視覚障がい者について知ってもらうための動画、盲導犬とペアルックの服をつくりたい!

https://readyfor.jp/projects/junjun-vivid-go-go-hanao

視覚障害者の本を読んだ結論

全員クラファンしていた。障害とクラファンは親和性が高いんですね。機会あれば他の本も読んでみます。

そんなわけで、白杖を持っている人を見かけたら声をかけることにしました。

「通りすがりのものです。何がお手伝いできることありますか?」

ちなみに、僕がお話を聞いているのはサーリさん。全盲なのにセブ留学しているのです。目が見えない世界を考えるキッカケをいただきました。

全盲の世界を疑似体験できるレストラン、Dining In The Darkもオススメです。

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