津軽って言葉はよく聞く。パッと思いつくのは津軽三味線。でも、どんな音色が説明できるほど知らない。津軽海峡は青森の先っちょでしょ。でも、津軽がどこかを説明できない。そんなレベルでしたが、行ってみるとわかるんです。「津軽地方」は青森県の西側のことでした。その中心都市が弘前(ひろさき)。その弘前を代表する伝統行事に、毎年夏に開催される「弘前ねぷた祭り」というのがあります。
弘前ねぷた祭り
弘前には「津軽藩ねぷた村」という場所があるんですが、ここ面白いです。ねぷた祭りの魅力をたっぷり知ることができます。入場料は大人600円。

まず最初は、ねぷたの説明です。ねぷたは夏に行われるお祭りで、扇型の大きな灯籠を台車に載せ、人々が綱で引いたり押したりしながら街を練り歩きます。これ灯籠なんですよ。

説明が終わると、迫力ある笛と太鼓の演奏がはじまりました。

津軽三味線の演奏もあります。

津軽地方の三味線曲「津軽じょんがら節」。実は「じょんがら節」にもいろいろな種類があるそうで、そうした違いについて説明してくれたあと、実際に演奏してくれました。
その後は自由に見学できます。実際に祭りで使われる大きなねぷたが展示されていました。




ねぷたの展示を見終わって進んでいくと、まだまだ展示が続いていて予想以上に見どころがありました。
ねぷたの起源
ねぷたはお盆に死者の霊を迎えて供養する行事が起源。人々が眠気(怠け心)や悪霊を追い払うために灯籠を流したり、練り歩いたりしていて。これが次第に大きく華やかになったそうです。
説明になっているのかなっていないのがわからないけど、農作業の敵となる睡魔を追い払うことは当時は重要だったのかもしれない。

灯籠を流したり、ランタンを飛ばしたり、お盆のイベントはエリアによってさまざまだけど、その中の1つのねぷたと考えると面白い。なんでこうなった?
ネーミングは「眠たい」からきていて、方言の違いで、弘前はねぷた、青森はねぶた。発祥は弘前。弘前のねぷたは扇型で、青森のねぶたは立体という明確な違いがあるのも面白い。
青森は東と西で仲が悪い

この地図には衝撃を受けました。ねぷたの掛け声がエリアによって違うんですが、ねぷたって青森県全体で行われているわけではなく、東の八戸にはないんです。青森は東と西が別々の藩だったから文化が異なるようです。
歴史を調べてみると、もともとは東側(現在の八戸周辺)を治めていた南部氏が津軽一帯も支配していたけど、弘前の津軽氏が独立したんです。そして、豊臣秀吉が天下統一を進めていた時代に、津軽氏はいち早く秀吉に近づいて信頼を得て、この地域の支配を認められて、弘前が津軽地方の中心になったんです。
時代の変わり目にうまく立ち回って主導権を握ったのが弘前。いつの時代も時代の変わり目にポジションチェックがおきますね。仲が悪かった2つの地域が、中央の命令で無理やりひとつにまとめられた名残のようです。
今でも文化圏がまったく違うって、いったい過去に何があったのか?めちゃ気になるので、八戸にも行きたい。ねぷたをどう思ってるか聞いてみたい。
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