善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市にある仏教のお寺で、古いお寺のひとつです。長野の町は、長野駅から善光寺まで参道が続いていて、コンパクトに街がまとまっているのが面白いところです。
お朝事
毎朝お朝事をやっていて、住職が本堂で読経を行ってます。自由に参加できるので早起きして行きました。5時50分からでしたが、6時20分に行きました。

これが善光寺表参道。参道って神社にしかないと思ってましたが、寺にもあるんですね。遠くに見えるのが入口の仁王門。

仁王門の左右には阿形【あぎょう】像・吽形【うんぎょう】像。カッコいいです。この仁王門を過ぎると仲見世通り。お店が立ち並びますが、朝早いので閉まってました。

さらに前進すると山門(三門)です。

その奥にあるのが本堂です。
無宗派の寺
善光寺の特徴は、宗派を問わず誰でも参拝できる「無宗派」の寺とされていること。でも、どこのお寺でも浄土宗や曹洞宗など関係なく、誰でもお参りできるでしょ?不思議なので調べてみると、浄土宗と天台宗の両方の僧侶が交代で住職を務めている。それは全国でも珍しい形のようです。
あと、善光寺には昔から女性の参拝が許されていたり、女性の僧侶もいたそうで、それもかなり珍しかったようです。昔は女性が寺に入れないことも多かったんですね。

本堂の中は撮影禁止。中に入ると「びんずる尊者」という、顔がツルツルになった仏像がいました。三百年以上、多くの人に撫でられ続けて、表面がすっかりツルツルになっています。自分の身体の悪いところと同じ場所を撫でると、病が癒えると信じられているそうです。
善光寺に祀られているのは、「一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)」という仏さまで、日本最古の仏像といわれています。この本尊は「絶対秘仏」とされていて、誰もその姿を見ることはできない。その代わりに、7年に一度「御開帳(ごかいちょう)」という大きな行事があり、本尊と同じ形をした仏像(前立本尊)が公開されます。御開帳のときはものすごいたくさん参拝客が訪れ、地元の商売人たちもそのタイミングでガッツリ稼ぐそうです。
真っ暗通路を歩くお戒壇めぐり
善光寺で絶対やったほうがいいのが「お戒壇めぐり(かいだんめぐり)」。これは面白い。本堂でチケット(600円)を買うと、地下にある真っ暗な通路に入れます。右手で壁を触りながら、完全な暗闇の中を手探りでおそるおそる進んでいきます。まるでダイナー・イン・ザ・ダークの世界。ちょっと怖いです。でてきたら、前の人がすぐに2周目に行っていたので、同じようにまた地下に降りましたが1回目ほど怖くない。未経験の1回目はやっぱ怖い。先が見えないと怖いとはまさにこのことですね。
後で知ったんですが、右手で壁をたどって進んでいくと、本尊の真下にある「極楽の錠前(鍵)」に触れることができて、その鍵に触れると極楽浄土に行けると信じられているそうです。僕は鍵には触れられなかったんですが、触った人に聞くと、鍵の位置は、どうやら腰より少し上くらいの高さのようです。目を使わず、手と心で仏を感じる、そんな特別な体験ができる地下通路です。善光寺に来たら、ぜひ体験してください。
旅という娯楽が江戸時代にはじまる
善光寺は古くから「一生に一度は善光寺参り」と言われて、多くの人々が巡礼に訪れてきたそうです。こんぴらさんと同じ。江戸時代、平和で豊かになってきて旅という娯楽が生まれた時期かもしれないと思って調べてみたらビンゴでした。
伊勢神宮(おかげ参り)
「一生に一度はお伊勢参り」:江戸時代には爆発的なブーム(特に1830年の「天保のおかげ参り」では数百万人規模)
金毘羅宮(こんぴらさん)
船乗りの守護神として西日本中心に人気。石段の多さも話題に。
善光寺(長野)
絶対秘仏信仰、「一光三尊阿弥陀如来」への信仰。庶民に人気。
出雲大社
縁結びの神。伊勢と並んで特別な存在とされることも。
熊野三山(熊野詣)
鎌倉時代の貴族の巡礼地だったが、江戸時代に庶民も参加する「蟻の熊野詣」として人気に。
朝のお勤め
毎日、朝のお勤めが行われていて、たくさんのお坊さんたちがお経を唱えて仏さまにお祈りする様子を見ることができました。焼香の香りのなか、僧侶たちの読経はとても雰囲気があります。鐘の音が響く静かな朝は、とってもいいものでした。

この寺には鳥居はないけど神社のような雰囲気を感じた。だけど、神社要素がない。創建されたのは 7世紀のはじめ(推定で644年ごろ)。古事記が作られた712年以前だから神社と混じってないのかな?と思った。古い寺を調べたら、法隆寺(607年創建)や四天王寺(推定593年創建)で、共通点がある気がした。

善光寺はかなり広いので、ゆっくりまわると1時間では全然足りない。日本忠霊殿も宝物館も行けなかったのが残念。
それにしても、のんびりした空気が流れるいい寺でした。長野市の平和な空気は、もしかしたら善光寺のパワーが関係しているのかもしれない。みんなでそんな話をしたのも楽しかった。まんざら冗談でもなさそうです。仏教がよくわかってないので、もう少し詳しくなりたい。阿吽を読み返します。
あとね、なんだか羽振りの良さを感じた。神社と違って、お寺はお墓で収入があるからかもしれない。宿坊もありますよね。私は高野山の宿坊であまりいい体験をしなかったので、今回はお寺には泊まらなかったんですが、また来ることがあれば宿坊もいいな。経済的な余裕とやさしさって、やっぱり関係あるのかもしれない。
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