東京の乃木坂に旧乃木邸というのがあるんです。乃木希典(のぎ まれすけ)将軍の家です。通常は外観しか見れないけど、毎年9月に建物の一部が公開されて中に入れるんです。
東京観光で旧乃木邸
11月にも一般公開があったので行ってきました。事前予約はできません。20分単位ぐらいで人数制限がありますが、すぐに入れました。

昔は撮影可だったようですが、現在は撮影禁止でした。
旧乃木邸は伝統的な木造建築。ただ、乃木将軍はドイツに留学していて、その時に見たフランス連隊本部を参考にして自ら設計したんです。だから、西洋建築の要素が取り入れられています。入口は1階ではなく地階で、天井は低いです。襖も低い。170cmの僕の身長より少し高いぐらいです。当時の日本人は背が低かったのがわかります。
階段を上がると1階です。和室と洋室っぽい部屋があります。乃木将軍や奥さんの部屋は和室で、ここが「自害の部屋」です。キッチンなどは西洋風の部屋で天井が高い。今でも高く感じるから当時はかなり高かったと思う。来客用みたいです。いま見ると完全に日本家屋ですが、当時は目新しい建物だったんでしょう。さらに上へ上がる階段があるけど、立ち入り禁止になっていました。
旧乃木邸のポストカード
展示は無料なのに帰りにポストカードをもらいました。





旧乃木邸のすぐ近くには馬小屋、乃木公園、乃木神社、乃木神社宝物殿があって落ち着いた空気が流れてます。
坂の上の雲のドラマで、柄本明さんが演じていたのが乃木将軍
ドラマ「坂の上の雲」で、柄本明さんが演じていたのが乃木将軍です。
日露戦争の旅順での戦いを指揮していて、白襷隊(しろたすきたい)を突撃させてたくさんの戦死者が生まれて、ちょっと時代遅れな陸軍将軍として描かれてました。当時55歳
漫画「ゴールデンカムイ」の杉元は日露戦争の「白襷隊」の生き残りですね。
乃木希典とは
詳しくないので調べてみました。

長州藩出身、幕末の武士の家に生まれる
乃木希典は長州藩出身、幕末の武士の家に生まれました。幕末の戊辰戦争(1868~1869年)では、新政府軍(明治政府側)として旧幕府軍と戦っています。戊辰戦争の北越戦争(新潟周辺での戦い)に従軍しているけど、新撰組と戦った記録はないです。
1877年の西南戦争では、熊本城を包囲する西郷隆盛率いる薩摩軍と戦って敗北。天皇から賜った軍旗を敵に奪われる事件が起きました。軍旗を失った責任を深く感じ、生涯にわたってその罪を悔やんでいたそうです。
ロシア軍を率いたステッセル将軍と仲がよい
その後、日清・日露戦争を戦った乃木希典。旅順では白襷隊を編成してたくさんの戦死者を生み出したが、日露戦争は勝利します。
面白いのは、旅順でロシア軍を率いたステッセル将軍と仲がよいんです。ロシアに帰国後、降伏した責任からロシアの軍法会議にかけられて、ステッセル将軍は死刑判決を受けます。
しかし、乃木はステッセル将軍の勇敢な戦いぶりを評価して、ロシア側に手紙を送って、最終的に死刑は取り消されたんです。10年間の懲役刑に減刑された彼を支援もしていたので、乃木亭にはステッセル将軍のものも展示されています。
明治天皇が死んだときに、乃木邸で自殺
日露戦争でたくさんの戦死者を生み出した責任から「自害したい」と明治天皇に伝えると、「私が死ぬまで絶対死ぬな!」と言われて、日露戦争後、学習院大学の院長になって教える立場になっています。そして、明治天皇が死んだときに、乃木邸で自殺しています。奥様も一緒に自殺したようです。その部屋は「自害の部屋」と名付けられて、そのまま残っています。
殉死したことは、当時も賛否が分かれたけど、武士道精神の象徴とも見なされた。彼の生き方は忠義の精神を体現していて、日本の武士道そのものを象徴している。だから、乃木将軍は海外でも武士道の象徴として知られています。本当のラストサムライかもしれない。
ちなみに、白襷隊のことを調べたら、ロシアが日本を脅威に感じたのは、203高地を奪われたときより、玉砕覚悟で突っ込んできた白襷隊だという話もあるようです。
大東亜戦争もそうですが、玉砕覚悟で突撃してくるやつは怖いですよ。坂の上の雲のドラマでは、白襷隊は無謀な指揮と無惨な戦死として描かれてましたが、戦争や突撃を美談にしたくないから情報をコントロールされているのかもしれないですね。
乃木神社
乃木神社の御祭神は乃木夫婦。さらに摂社として正松神社があります。摂社は本社に付属して、その祭神と縁の深い神を祭った社だそうです。正松神社の御祭神は玉木文之進と吉田松陰。玉木文之進は乃木将軍の恩師で、松下村塾の設立者。3人の関係を調べると面白い。

正松神社は乃木神社の少し奥にあるので見逃さないでください。

乃木神社の入口の鳥居の前には足が長いマッチョ狛犬がいます。
宝物殿


乃木神社のすぐ近くの宝物殿(ほうもつかん)には、乃木大将の写真、像、御殉死の刀などが展示されていて無料で見学できます。小さい部屋で一瞬で見終わるけど、説明があって理解が深まる。
知らないと見過ごしてしまいます。
乃木坂の由来
乃木坂は江戸時代には幽霊坂と呼ばれていたそうです。だけど、1912年9月、乃木希典大将の殉死を悼み、赤坂区議会が乃木坂と改名。周辺の地域も乃木坂と呼ぶようになって、1972年10月20日に開業した東京メトロの千代田線の駅が乃木坂駅と命名されて、地域名として一般化したようです。
そう考えると乃木坂48って重い名前ですね。歴史を知ると感慨深い場所です。
以下に「旧乃木邸バーチャルツアー」があるので興味ある方は見てみてください。
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